市民はねじを巻く

市民はねじを巻くにようこそ。読書ブログです。今日も誰かのねじを静かに巻いています

運の怖さについて | ハッピー運とラッキー運とその他諸々の愛を

 
焼肉屋で呑んでいたときに、彼は言っていた。
 
 
 
「僕は不思議なことに運に恵まれているみたいだ。」
 
 
彼には、大学から何かしら良い風が吹くことがあり、転機に恵まれ今を送っているという。彼とは親しい仲なので、具体的にどの機会のことを言っているのかは、昔からを振り返ればわかる。
 
本人もそれを不思議がっていて、なぜか気がついたら、沢山の縁に巡り会えていたと。その縁があったから、自分は比較的安定した立場にいることができていると。
 
久しぶりの再開の中の、何気ない話の1つだった。特に深い意味はないと思う。 

  

運か。

 
 
わたしは、この運というものが心底怖い。
 
 
運ていうのは、偶然に区分できるもので、何かに成功する要素の一つ入るくらい、ある意味普遍的なものだ。やたらそれが強い人もいる。もちろん彼が裏で努力しているのは知っているし、だからこそチャンスをつかむことができたこともわかってる。
 
 
 
 
 
悪い運もある。
 
 
 
 
20代までは、なんの問題もない人生を歩んできたのに、
例えば偶然病気をしてしまったりだとか、事故に巻き込まれたりだとかで
後の人生に大きく影響を与えてしまうできごと。事故。これだって運だ。
 
 
前者は、縁という意味での運。
後者は、事故という意味での運か。
 
それぞれは、違ったものかもしれないけれど、わたしには、それらは紙一重にしか映らない。後者の運が巡ってしまい、今は元気だけど当時は深く落ち込んだ友人も知っているからだ。
 
 
 
運て怖い。
 
だって、コントロールできないから。
 
 
 
そして、一度でも良い運が巡ってきたということは、自分にも逆の悪い運が巡る確立もあるということだ。いままでは歯車が偶然うまく回っていたけれど、ある日突然、わたしの知らないものがトリガーになって、それが崩れてしまうことだってあるかもしれない。
 
 
 
 
ああ、きっと、すべては誰かの選択のままに。
 
 
 
 
 
 
 
そんなことを考えてたら、いつのまにか会議は終わっていた。