深い瞑想を簡単に体感できる方法
「気持ちを落ち着かせる」
「心を空にして、インスピレーションを得る」
「気分を晴れやかにする」
このような、キャッチフレーズを筆頭に、何かと巷で話題となっている瞑想。
瞑想については、古くから専門書はあれど、最近では、テレビや雑誌などでも取り上げられ、ずいぶんとポピュラーなものとなってきた。
しかし、言葉自体はいくら親しみ易いものになろうとも、その実態はいまだ曖昧だ。
ヨガ経験者*1の私からしても、瞑想ってかなり難しく、捉えどころがない。
というか、たとえ、形にはなっていたとしても、これが瞑想です! なんて、自信を持って主張できる経験は、1度だってない。所詮、私のやっていることは、瞑想の真似事であり、その本質に迫れていないのだろう。
そんな中でも、何十回、何百回*2と繰り返しているうちに、深いところまで入っていけたな*3、と感じることが稀にある。
そして、その「稀の状態」を作り出し易い条件を、自分なりに発見した。せっかくなので、文章におこして起きたいと思う。*4
深い瞑想とは、どのような状態か?
冒頭でも述べたが、私に瞑想の浅い、深いについて学術的な理解はない。それなので、世間一般の定義とは異なると思われるが、ここでは便宜上、わたしの経験をベースにした定義を記す。かなり抽象的な内容だが、とりあえず一旦整理したい。
- 浅い瞑想:雑念がちらつき、ただ座っていることと何ら変わりはない状態
- 深い瞑想:雑念が極限まで小さくなり、自分がモノのようになっている状態
前者の状態は、容易に想像がつくだろう。日中仕事で頭をフルに使った日や悩み事を抱えている日には、だいたいこうなる。
後者の状態については、この記事の冒頭で書いたような、稀な状態である。この状態に入るためのトリガーについて、この後に紹介する。
上記の稀な状態について、もう少し説明を入れると、これが、まあ、なんとも不思議な感覚なんだけど、この感覚について自分なりに分析してみると、過去に経験した、ある状態に近しい事に気づいた。
その状態というのは、ベットから起きた後、いま何時か全くわからない時の状態。漫画だと、そういうシーンがたまにあるけど、朝の7時だと思ったら、夜の7時で、まる1日寝ていた。というやつ。
私が経験したのは、中学生くらいの時だったが、この時に経験した感覚と、瞑想に深く入っている感覚が、非常によく似ていると感じている。
この二つをの類似点を探ってみると、要するに、自分がいる空間や時間を意識が飛び越え、認識できなくなっている状態なのではないか? と個人的に解釈している。もっと噛み砕いて言えば、今、自分がどこにいて、何者なのかがよくからない状態。
当たり前に認識できていたものが、その瞬間だけフと抜け落ちてしまっている。たしか、サルトル著『嘔吐』の主人公もそんな感覚に陥っていたような。無理に言葉にするならば、自分を含めた周り全ての存在が、絶対的なものではなくなるような状態。うん、いまいちしっくりこないな。
深く瞑想に入った気分を体感できる方法
ここから本筋。前置きが長くなりました。
結論から述べると、私が発見した、最も簡単に瞑想に深く入る方法は、本来働いている時間に瞑想をすること。
具体的には、平日に有給を取って、会社の始業時間くらいに瞑想をしてみると凄く効果がある。瞑想のやり方は分からなくとも良いので、自宅の座り易い場所に座って、目を閉じて気持ちを落ち着かせてみる。
原因は分からないが、私個人は、この状態で瞑想すると、最も手軽に深いところまで入っていける。いま、ここで座っているこの瞬間は、本来自分がいたであろう場所に自分は存在せず、社会から外れ、それに構わず会社や社会は回っていくような感覚を覚える。
まるで、小学生の頃、微熱だが学校を休んで、みんなが授業を受けている中、NHK教育テレビを家で観ていた時の、自分がどこにも所属していないような、何とも言えない感覚に少し似ているように思う。
上記で紹介した「自分を抜きにして社会が回っていくような感覚」か「小学生の頃、学校を休んだ日にNHK教育をみているときに不思議な感覚に陥った」に覚えがある人は、この方法の素養があるかもしれません。
以上、万人向けではないと思うけど、ちょっと変わった瞑想の方法のご紹介でした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。