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【読書感想】ヘンリー・ジェイムズ 『ねじの回転』

ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』。ホラー文学の傑作と謳われる名著。

光文社版をkindleで読んだ。望月通陽さんのイラストは相変わらず素敵。

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

 

あらすじ

物語は、冬の夜に屋敷で宿泊した人々が集まって怪談話をしているシーンから始まります。怪談話って日本だと夏にやるものだけど、アメリカだと冬にやるもの?なのか。もしかしたら神聖なクリスマスにちなんだイベントなのかもしれない。

『ねじの回転』というタイトルは、この百物語に似た怪談話の一押しエピソード、すなわち小説のメインストーリーになる怪談が「ねじのように捻られた物語」だからということらしい。(普通に捻られたストーリーって言えばいいのにね)

『ねじの回転』というタイトルを見たときは村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』のように、物語に関係するキーワードとしてねじが登場するのかと思っていた。実際に読んで見ると、作中でねじなんて言葉すら出てこなくて、ねじまき鳥がギイギイ世界のねじを巻くこともなかった。

ねじまき鳥クロニクル 全3巻 完結セット (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル 全3巻 完結セット (新潮文庫)

 

タイトルに沿った話ではなくて少し拍子抜けしたけど、まあよく考えて見たら別にねじに関する小説が読みたかったわけじゃないからいいです。ただし、ねじに関するエピソードを求めてこの作品を手に取った人は注意してください。ねじのことに関しては何も知らないと思いますヘンリー・ジェイムズは。むしろねじに関する小説があればそれはそれで読んで見たい気がします。

話をあらすじに戻しましょう。

物語の主人公は、語り部の妹の家庭教師。彼女が19歳の頃、田舎のとある屋敷に派遣された時に起こった出来事が奇妙なので、本人が兄さんである語り部に伝承したらしいです。(19歳でブロンズで家庭教師って素晴らしいステータスじゃないですか? ぜひ弊社で働いて頂きたい。宜しくお願い致します。)

彼女が片田舎の屋敷に派遣された理由というのは、屋敷にいる2人の天使のような子供達の家庭教師を任されたからのようでした。

その2人の子供、マイルズとフローラは天使のように可愛くて、おまけにとてもいい子達。彼女はその子たちにメロメロ。子供達も彼女を慕っているようでした。それはとても幸せの日々の始まりでした。本当に彼女は幸せを感じていたのです。そう、あの夜がくるまではー

亡くなった前任の家庭教師の幽霊、子供達の奇妙な行動、日々憔悴していく精神。物語のねじの回転はギリギリと音を立て、中心に向かって徐々に締まっていきます。と、いう感じで物語はホラーパートに入っていきます。

『ねじの回転』ではホラーそのものというより、奇妙な体験を通しての主人公が抱く心情描写が高い評価を獲得している作品です。

ねじの回転は解釈が読者に委ねられている作品 難易度は高いが読み応えはあり

『ねじの回転』が読みやすい小説かと言えば、答えはNoだと思います。

特に小説に読むのに慣れていない人には難しんじゃないかな。最後まで読むのには一苦労だと思います。ボリューム的には中編なので多くはありませんけど。

じゃあ何が読みにくいかといえば、ホラー文学でありながら、情景描写が西洋的すぎるから(西洋の小説でしかも翻訳だから仕方ないですけど)主人公がどう恐怖を感じ取ったのか、どういう情景なのか脳内でトレースするにはかなり難儀すると思うからです。

それと最大の難所がもう一つ。これは他のレビュー記事とかを読めば紹介されているかもしれませんが、『ねじの回転』には明確なオチや種明かしは存在しません。だから「結局、いままでのは一体何だったんだろう?」と読者に解釈が委ねられます。このような形式の物語はミステリ小説の世界では「リドル・ストーリー」と呼ばれています。

小説初心者は、このリドル・ストーリー形式の物語は消化不良になってしまうかもしれません。

リドル・ストーリーの例としては、村上春樹の短編小説『レキシントンの幽霊』などがあります。私個人としてはリドル・ストーリーは大好物で、レキシントンの幽霊は数年に一回読み返したいお気に入り作品です。 

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

 

それでも、途中の情景描写や締まり切らない物語については一旦やり過ごしたとしても、古典文学の魅力を全身で感じてみるには良い作品だと思います。

名著として一読の価値があるのは勿論、光文社の出版される翻訳本は読みやすいです。

...

作品の読みやすさなどの紹介はこれくらいにして、最後に私が感じた作品魅力ポイントについて書いていこうと思います。


私たちにとって、非日常とは一体何なのか

主人公は恐怖により日々繊細になり、あらゆることを疑いはじめます。以前までは些細だと思っていたことも、今では気になって仕方ないこともしばしば。こんな風に、段階的に変化していく心理描写は巧妙に計算されていると言わざるを得ません。

「わたしの周りに奇妙なことが起きている」

しかし、それを証明するものは何一つない。自分以外の証言者もいません。

もちろん19世紀のアメリカの片田舎の屋敷には、エビデンスとなりうる音声データやカメラ映像なども当然ありません。物語が進むにつれ、第三者による証明が難しい現象が次々起こってくるわけですが、もしかしたらこれは全て主人公の錯覚かもしれません。

『ねじの回転』の最大の魅力は、ここにあると思います。日常とその相対的な位置にある非日常とは、必ずしも外部の環境そのものが変化しなくても、個人の精神(内部)が狂ってしまうだけで起こりうるものだと、この作品を読むとよくわかります。

村上龍の『コインロッカーベイビーズ』にこんなシーンがあります。 矯正施設に入れられた主人公の2人、キクとハシは施設により時間をかけてとある体験をさせられます。

それらが終わり、久しぶりに見た日常を目の前にした2人は、互いに言葉を取り交わします。

「ねえ、久しぶりに見た世界は大きく変わっているね」

「いや、違うよ。変わったのは世界のじゃなくて、僕らの方だ」 

...非日常とは一体何なのか。それを定義、ジャッジするのは自分の精神に他なりません。